私の夢とは

出会い

何気ないふとした出会いが、その後の人生を大きく変えていくことがありますね。
あなたも、そんな経験がきっとあったと思います。
出会いといってもいろいろありますね。
生涯を共にする伴侶との出会い、自分の人生を変えた一冊の本、旅先で出会った運命の人や場所、自分を駆り立てたビジネスとの出会い…。

その出発点はいつも何気ない「偶然」から始まっているものです。
また、ひとつの出会いが歴史を変えていくことさえあります。
どの出会いも自分が意識して出会ったわけでもない。
だからこそ余計にその出会いから運命を感じます。

  出会いとは何と神秘的なことでしょうか。

人はどこかで無意識に「運命の出会い」を望んでいるものです。
だから誰もが「この広い世の中できっと運命の人が、私を待っている」と思うのでしょう。

偶然とは?

ひょっとしたら「偶然」こそが本質で、頭で考えている必然の世界は、「偶然」の付属物かもしれないと時々思うことがあります。

もし、「偶然」が本体ならば、私たちの人生を考えなおしてみる必要があるのかもしれませんね。

自分の自我を捨て、「偶然」の波に身を任せたらどんな人生になるのでしょう。

そういえば、老子も荘子も、お釈迦さまも、古来の賢人たちは、口をそろえて「大自然に身を委ねろ」といっているではないか。

「井の中の蛙、大海を知らず」

この言葉のように、私たちは大自然の偉大さを知らず、敵にまわして、小策な考えで人生を生きてるのかもしれません。
力づくで運命を切り拓くのでなく、運命の波に乗って行くような生き方。
大自然に身を任せることによって、逆に運命が自分を導いてくれるかもしれません。
そんな心境になった時に不思議な出会がやって来るのかもしれませんね。

コミュニティー

私は今まで、そんな出会いの不思議さ魅せられて、試行錯誤しながら、数々のコミュニティーをつくってきました。
その出会いから、ある人は事業家になり、ある人は素敵なパートナーと出会い、幸せな家庭をつくりあげました。

人は決してひとりで生きて行くことは出来ません。
一人の人間の力などたかだかしれています。
自分がひとりでやってきた過信が少しでも湧いてくると、人は誰でも傲慢になり、その傲慢さゆえに、せっかく築きあげた自分の城も一夜にして崩れ去ってしまうものです。

どんな人にも、その人を支えている数えきれないほどの人々がいます。

世の中が複雑になればなるほど、一人の人間の力など微力なものです。
ところが、非力な人間が結集することによって大きなエネルギーを生み出します。
どれだけ多くの人とお互いに協力しあえるが、人生を切り開くための鍵となります。

私の夢

人間は誰でも自分中心に考えがちですが、一歩譲って相手の立場に立つ心構えが大切ですね。
豊かな人生を構築する為に、どれだけ多くの人々と力を合わせることができるかが運命の分かれ道となることでしょう。

そんな出会いと生きがいの「場」こそがコミュニティーとなのです。

しかし、私の理想とする究極のコミュニティーは、それに私の研究理論を付加したものです。
私は、コンサルタント業をしていた30代の頃に、「意識」が人間の集団に与える影響を何度も目の当たりにしてきました。

コンサルタント時代に関しては、こちらでお話ししております。

「意識」が集団の現在、未来の姿を作り出し、所属する人々の人生にも影響を与えます。
所属する個人の「意識」を打ち消し、集団全体の持つ「意識」が嫌が応にも個人の人生に働きかけるのです。
この集団と言う言葉は、コミュニティーにも当てはまります。

では、そのコミュニティーの「意識」が夢を実現し、豊かな人生を手に入れるのに最適な状態であれば・・・
所属した個人は、全員、勝手に夢が実現し、豊かな人生をごく自然に手に入れる事が出来ます。

これは仮説ではありません。

小規模なコミュニティーで何度もシュミレーションし、実際に実績も上げています。
インターネットを利用し、この理論で全国網の巨大コミュニティーを作り上げる。

これこそが私の夢であり、私が理想とする究極のコミュニティーです。
理想のコミュニティーを創造しようと、未来に希望を燃やし、今も、夢を追う日々を過ごしています。

老子は理想的な国作りは「小国寡民」と説いています。